江戸の町の特徴は、ヨーロッパの都市のようなフォーマルな広場に欠けていたことです。
幕府が市民の力を封じ込めるために、広場をつくることを嫌ったからです。
そのため市民は、広場でなく、チマタという形でいろいろな群がり、集まるゾーンをつくり出しました。
むかしの繁華街、盛り場がどことなく隠微の影を宿しているのは、そこが必ずしも「岡場所」的な、栗本慎一郎氏の言葉を借りると臓腑的都市空間としての「闇の都市」であったからです。
それだけでなく、幕府によってフォーマルな広場が禁圧されていたためでもあるわけです。
明治、大正にかけて、東京にも宮城前広場をはじめ、公園その他公設の広場が外国の都市にならって数多くつくられ、「広場」の数が多いことでは東京は全国の都市でも最右翼に位置するようになりました。
しかし、多年の江戸時代の慣習のため、今日でも都民の公設の広場の利用率は低く、横丁的チマタの方が、都民にとってはるかに群がりやすく集まりやすい場所になっています。
東京という都市は、ミヤコの意識はないですが、チマタの意識はきわめて旺盛ということになります。
そして、このチマタの意識は、ミヤコの意識が不活性化すればするほど、東京という街の表面におふれて、フォーマルな顔に変わる新しい今日の東京の顔になります。
山の手のど真ん中に六本木族が現われ、明治神宮のそばに原宿族のゾーンができ、東京の副都心として再開発された西新宿がたちまちアンアン、ノンノン族のチマタと化したところにそのことが表れています。
この意味で、このようにして新しくつくり出された繁華街は、同じ繁華街でもそれ以前の繁華街とは一味ちがう繁華街なのです。
かつては、フォーマルとしてのミヤコの片隅に追いやられ囲まれていた繁華街が、いまではフォーマルの空間の中にどんどん侵食しつつあるのです。
この意味で、東京はいまやかつてのミヤコかた新しいチマタへと大きなチマタ革命の洗礼を受けつつあるといえます。
さて、チマタとは何でしょうか。
それは、人々の群がりが集まる場所です。
その場は必ずしもヨーロッパの都市のようなど真ん中の広場だけとは限りません。
横丁でも街角でもゾーンとして群がりやすいところ、集まりやすいところならどこでもチマタになります。
二つの顔はときにより左右に妖しく揺れ動く顔です。
それと同時に、都市の顔自体が、変化していくものなのです。
とりわけ、アクロポリスとしてのフォーマルな顔の変化が烈しいでしょう。
なぜなら、フォーマルな都市としての東京は、住む人にとって、「見えない都市」だからです。
住む人にとってその街が見えないということは、東京という都市自体が非在に近いということであって、そういう空疎で実体性に欠ける都市には、たとえばギリシアの都市におけるような・・・
あるいは江戸・明治期の東京人が持っていたような、現実的な市民意識や首都としての自覚が誇りが生まれようがないのです。
その意味で、東京のフォーマルな顔が現実の身体性と精神性を欠いた抽象化しつつある顔であり、同時に東京の無限膨張によってますますその内面を腐食されつつある顔なのです。
これに対して、インフォーマルな顔、ゾーンとしての顔は生き生きとした実体性に富む顔です。
なぜなら、ゾーン空間はそこに住む人々にとっては、身体的に触知可能の空間であり、ビジネス的にも生活的にも確かな空間だからです。
もちろんそこには、ポリスにおける市民意識のような明確な意識や誇りはありません。
しかし、それに代わるものとして旺盛なビジネス感覚があり、生活感覚があります。
ビジネスのネットワークという点では、計画空間のシェアは表向きに考えられるよりそれほど大きくなく、「非計画空間」の方が実質的には大きいです。
これに対して生活のネットワーク面では、フォーマルの「計画空間」のシェアが「下町的非計画空間」のそれよりも大きいのです。
ビジネスの世界ではインフォーマルな顔が大きく、生活の世界ではフォーマルな顔が大きい・・・。
それに加えて、行政の世界でのフォーマルな顔があります。
そこに東京の顔のややこしさがあって、どちらかというと全体としてはフォーマルな顔が勝っています。
東京が大阪の街に比べて上品ぶっていて冷たく硬質で面白くない街といわれる所以ですが・・・
このことをもって、東京とはこういう街と決めてかかるのは早計というものです。